「玖我、間違ってる」
国語教師の言葉に私は目が点になる。
「しかもお前の解答な、真逆の意だ。これは成就しがたい恋を憂う歌なんだ。いわゆる『忍ぶ恋』だな」
混乱する。納得がいかない。椅子から立ち上がったままぼけーっと突っ立っていると
「座っていいぞ。学校休まずにちゃんと古文も勉強しろ」
と嫌味な小言が飛んできた。腹が立つが、間違っていたのは事実のようだから仕方ない。


でも、確かに静留は言っていたんだ。
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」
これは恋の成就する歌なんだと。





恋ひ恋ひし  −前編−





生徒会室のドアを開けるとプリントを読んでる静留の真面目な横顔が見えた。「会長」の時の静留の顔は別人のようだといつも思う。
「あら、なつき。来てくれたん。嬉しいわぁ」
こちらに気づいた途端、くにゃりと笑って、手元の書類をトントンと片付け始める。
「ちょうど切り上げて帰ろうかなぁと思うてたとこやったんよ」
机の上には「創立祭予算報告」「創立祭出店計画」と書かれたファイルやノートが無造作に散らばっている。
「そうか、創立祭の準備中か。邪魔したな」
「邪魔なんて言わんといて。なつきが来てくれたら、うちなんぼかて頑張れますさかい」
椅子にかけた静留がにこにことこちらを見上げている。
「・・・・・私は手伝わないからな」
「いややわぁ、そんなこと言うてません!」
けたけたと笑う静留の鼻先に鞄から取り出した紙切れをつきつけた。
「何ですの?これ」
「中間テストの結果だ。静留にはテスト範囲、いろいろと教えてもらったし・・・その、報告のようなものだ」
順位表と私の顔をまじまじと見つめながら静留は嬉しそうに声をあげた。
「やっぱりなつき勉強できるんやねぇ。学年でもトップクラスやない」
「いい成績さえとっておけば教師には何も言われないさ。あいにく私は教師ウケが誰かさんみたいによくないからな」
目が合うと、彼女は微笑んだ。私も自分の頬が緩むのを感じる。
「助かった、静留。・・・・・感謝してる」
本当は「ありがとう」と言いたかったのだが、言葉がうまく出てこなかった。
「にわか先生やった甲斐がありましたわ」
満足そうにつぶやく静留。その顔を見て私も少し得意になる。
「それにしても、すごいわぁ。国語なんかあと二、三問正解したら満点なんのと違います?」
「ああ、今回は古文がよかったから。静留のおかげだ」
意外なことに苦手なはずの国語が一番高得点だった。古典に詳しい静留に重点的に教えてもらったからその成果が出たといえる。
ふと今日の国語の授業を思い出す。
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする____
「これは成就しがたい恋を憂う歌なんだ」
なんで静留はあの日、間違った意味なんか教えたりしたんだろうか?


一週間前。私は静留の部屋で教科書を見つめたままうなり続けていた。
「駄目だ!ちっとも頭に入らない」
シャーペンと消しゴムを放り投げてごろんと床に転がる。
「少し根つめすぎなんと違います?」
目を開けると静留がおぼんを持ってこちらを見下ろしていた。
「甘いもんでも食べて少し休んだらええやないの。おあがり、なつき」
ちゃぶ台の上にコトンと、湯気のたつ湯飲みと大福の皿が置かれた。上品な玉露のにおいがする。
「すまないな」
「なんで?謝ることなんかあらしません。うち、なつきが勉強したい言うて部屋に来てくれるのほんま嬉しいんよ」
「お前もテスト前なのに・・・・勉強したい科目とかあるだろう?」
「うちはテスト勉強いうの、特にしたことありません。いつもきちんと真面目に授業出て先生のお話聞いとったらわかりますさかい」
にっこりと余裕の笑みを浮かべる静留。
「テスト勉強がいらないなんて・・・嫌味すぎるぞ」
「あら、うちは誰かさんも真面目に授業出て先生のお話聞けいう意味で言ったんやけど」
くすくすと笑う。ばつが悪くなった私は大福を無言で口に放り込んだ。
「なつき、何がでけへんの?」
「古文」
「あないに面白い科目あらしませんのに」
「お前にとっては面白いだろうが私にとってはつまらない。まるで暗号解読だ」
「暗号やなんて・・・えらいぎょうぎょうしぃなぁ」
静留は私の放り投げたシャーペンを握って教科書を覗き込んだ。
「古文、好きなんよ。」
さらさらとノートを埋めていく。相変わらず綺麗な文字だ。
「昔の人もうちと同じような気持ちで人好きになったり憎んだり切ない気持ちになったりしてたんやなぁって思えるから。なんかほっとするわ・・・誰かに恋する気持ちはいつの時代も変わらへんのやねえって」
そんなの考えたこともなかった。ただ私には、ずっと昔の文章なんか読んでなんのためになるんだという疑問と反発心だけだったから。
「人間なんてアホやわ。月に宇宙船で行けるようなっても、かぐや姫となんも変わらへん。千年も前からずぅっと同じこと悩んでる」
静留は鼻で、力なく笑った。どことなく自嘲しているような感があって、こんな表情を初めて見た私は少し驚いた。
「さ、なつき。大福食べたらこの問題解いてみよし。うちがちゃあんと教えてあげますよって。古文得意になるくらいに、ね」
確かにその言葉に嘘はないほど、静留の教え方はうまかった。教師のつまらない授業とは違って、その時代の背景や雑学まで持ち出しておもしろおかしく説明してくれる。初めは気乗りしなかった私もいつの間にかひきこまれて夢中で話を聞いていた。
「古文で『はな』て出たらほぼ桜のこと指すんよ。それくらい日本人にとって桜が特別な花やいうことどすわ。そしてこのあかねさすは枕詞やから・・・」
「そうか。訳さないでいいんだな」
「そうそう、でここの『あだなる』は何形?連体形やろ?」
今まで訳のわからない記号の羅列のように思えていた文章がすらすらとわかり始め、不思議な高揚感を感じていた。
「解けた!わかったぞ静留!」
「よう頑張らはりましたなぁ。今日はここくらいまでにしときましょか」
「意外と、古文も面白いものだな。特に和歌は思ってたよりもずっと簡単だった」
静留は微笑んで席を立った。台所でお茶を淹れ直している。
「和歌にずいぶん詳しいんだな」
「うちは小さい頃からお父はんに歌会に連れていってもろうたり、百人一首したり・・・勉強する機会が多かったさかい」
「好きな歌とかあるのか?」
カチャンカチャン。食器を洗う音。
「ありますえ」
コポコポとお湯を沸かす音が部屋に響く。
「玉の緒よ、絶えなば絶えね」
コポコポコポ・・・・。
「ながらへば・・・・忍ぶることの弱りもぞする」
「タマノオヨ・・・?」
シンクの前に立つ静留の背中を見た。
「意味はなんだ?」
ゴボゴボゴボゴボゴボゴボ・・・・・・・。
「恋の成就を喜ぶ歌どすわ」
静留は煮立ったお湯をじっと見ている。やかんからただよう熱気は部屋に充満しつつあった。
「なんやちょっと熱おすな」
静留は少し背伸びして換気扇のスイッチをカチリと押したのだった。


静留は恋をしているのだろうか?成就を願わずにはいられない恋を。
「学園で史上最大のカップル」と噂になっている神崎のことは「信頼できる副会長。それ以上でもそれ以下でもありませんな」と笑っていたから、恋人はいないのかもしれないが。
恋に胸をときめかせる静留を想像すると、なんだか飲み込みがたい違和感を感じる。普段はおっとりとして感情的になったりしない静留が他人に恋焦がれたりするなんて。
でもその違和感はきっと静留のキャラクターのせいだけではなくて、私の価値観の問題なんだろう、と思う。
彼女に限らず、同級生がこれ見よがしに異性の話や恋人とのデートをネタにしゃべりあっているのを見ても、まるでピンとこないというか。自分の世界にはない何か、その感情の存在をまざまざと見せ付けられて、変な居心地の悪さを感じることがある。周りが異性を気にする思春期、中等部に入ったころからその奇妙なひっかかりはますます強くなった。

誰かを愛したり愛されたりするのは、ひどく不毛なことだ。
母は私を愛したがゆえに死に、父は母を愛していたにもかかわらず、他の女に逃げた。
どんな愛でも必ず終る。苦しんだりみっともないマネをさらすくらいなら最初から誰も愛さなければいいのに。
こんなかたくなな信念が私の中に根付いているせいなのだ、きっと。その違和感の原因は。

しかもあの日以来、人生は決定的に変わってしまった。あの夏。私の生み出した獣、デュランに出会ってから。HiME___こんな得体の知れない力を持つ女が普通の色恋沙汰など聞いて呆れやしないか?
まして私は、舞衣や碧、他のHiMEとですら違うのだ。
HiMEになる前からずっと「奴ら」を追い続けてきた。母を奪った組織、一番地。そのために薄暗い世界に自ら身を投じ、見えない敵の尻尾をつかもうと日々もがいている・・・・それは17の女子高生が送る当たり前の生活とは、とうにかけ離れ過ぎていた。




イベント特有の浮ついた雰囲気は学園からすっかり消え失せ、日々の退屈な授業と再び向き合うことに皆あくびをかみ殺している。
創立祭が終ったのだ。お祭りムードを引きずってばかりもいられない。もうすぐ夏休み。その前にはお決まりの期末テストが待ち構えているのだから。


七月の放課後の青々しい空にはぽっかり積乱雲が浮かび夏の到来を感じさせる。フェイスヘルメットが暑苦しくて仕方ない。バイク登校には辛いシーズンだ。
今度の期末テストには中間テストの範囲も含めかなり多くの和歌が出題されるらしい。前回と同じように静留の部屋で勉強すればまた楽々と点が取れるだろう。(しかもあいつの部屋にいればもれなく食事までついてくる。これはかなりオイシイ利点だった)だが頼りっきりなのも申し訳ない気がするし、何より私が一人で勉強できないと認めるようでしゃくなのだ。要は、自分のプライドの問題だった。
小さな書店の前でバイクを停めた。参考書のコーナーに向かい壁に並んだ本を手当たり次第開いてみるが、なかなか気に入ったものは見つからない。パラパラパラ・・・半ばやけくそになりながらおざなりにページをめくる。
「玉の緒よ」
文字が見えた瞬間手が止まった。行き過ぎたページを戻り、一行を凝視する。
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」
同じページの片隅に「死」という漢字をとらえた私の心臓は、跳ねた。
訳詞はこうだ。


「この命、絶えるなら絶えてしまえばいい。死んでしまえばいい。
このまま生き続けて、あなたを欲する心を抑えることができなくなってしまうといけないから」


そっと目を閉じる。
「なつき」
まぶたの裏に浮かんだのは、柔和でおっとりとしたあいつの笑顔と声色。


ああ______私は静留のことをまだ何も知らないのかもしれないな。


秘めた想い。あの笑顔の裏にあるもの。それを知ってしまったのはなんだかひどくいやらしいことのように思えた。見てはいけない何か、それを暴いてしまったようで。
後ろ暗い気持ちと初めて知る静留の激情は心を少なからず揺らす。
書店の薄暗いはじっこ、私は本を閉じれずにぼうっと突っ立っていた。





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