ひっかかっていることがある。
 静留に好きなやつがいたとして、なぜ素直に想いを打ち明けないのだろう?
 彼女に告白されれば泣いて喜ぶ男は大勢いるに違いない。もしや不倫とか?静留の好みが年上だなんて話、聞いたことはないけれど。

 こんなことをついつい考えてしまう自分を、私は恥じた。
 人の色恋沙汰を詮索するのは私の趣味じゃない。だいたいそんなこと、他人に何の関係があるものか。結局、人を想うという行為は本人と受け手だけの問題なのだ。それを外からああだこうだと噂する同級生や世間を私は心底軽蔑していた。
 人を想うという行為は、誰にも侵されない、その人だけの秘密の領域。それぐらいの心の自由があってもいいじゃないか。ただでさえ生きにくい世の中なのだから。

 そうであってほしかった。せめてあいつの心の中ぐらい。


恋ひ恋ひし  −後編−


「しかし、あの学園はきな臭いな」
マロボロの煙を一気に吐き出した後、ヤマダはそうつぶやいた。
「風華学園のことか?」
煙を露骨に避けながら私は聞き返す。ロールシャッハに通いつめてもうだいぶ経つが、未だに夜のバーの煙草臭さは大嫌いだった。
「ただの私立の坊ちゃん学校じゃないことは確かだな。あの学園には国から半端じゃないケタの援助金が流れてる。国から、と言ってももちろん一番地の上層部の連中だ。そこまでつぎ込む奴らの目的は」
「私たちHiMEのため、ということか」
「地下にでかい研究施設でもこしらえてるんじゃないか?」
そう言ってニヤニヤ笑いながら、ヤマダは煙草の灰を灰皿の上に落とした。そういえば、数日前にでかいブルドーザーがぞろぞろ学園の中に入ってきていたのを見た気がする。
「・・・・・笑えよ。今のは冗談だぜ」
ヤマダはバツが悪そうにマユをしかめる。
「一昨日のSF映画観なかったのか。地下に政府が宇宙人の研究施設を作って地球侵略をたくらんでるってやつ」
「映画は嫌いだ。今日の情報はそんなもんか。お前の冗談にまで金を払ってるつもりはないんだがな」
「どことなくシケた面してるから、気を遣ってやったんだよ。上客に対する、俺なりのサービス精神さ」
「この顔は生まれつきだ」
「どうだかな。まぁどうでもいいや。とにかく、学校のネットワークにアクセスしてみろ。何か新しい手掛かりがつかめるかもな。お友達にコネがあるんだろ?」
そう言われて一瞬、ヤマダから目をそらした。
「なんだよ、喧嘩でもしたのか」
「うるさい」
それなりに厚みのある茶封筒をヤマダの胸に押し付けて、私は店を出た。
「早く仲直りしろよおヒメさま」
後ろから、からかうようなヤマダの声がした。


 期末テストの結果は散々たるものだった。基本問題が解けないどころか、ケアレスミスでざっくり点を削ってしまい、テスト答案には朱の×が並んだ。この前は上位30位以内に食い込んでいた成績も、200番台に落ち込んでしまい、自分の集中力のなさに腹が立った。
 原因はわかっている。あの本屋での衝撃以来、私の心はいつも落ち着きがない。ペンを持てば10分と持たない。静留の柔和そうな笑顔がただただ脳裏に浮かぶ。あれ以来、静留の笑顔がひどく嘘くさく、仮面のように感じられてしまう。食事を摂っていてもバイクに乗っていても、頭の中に浮かんでくる。いつもくったくなく笑いかけてくる、あの顔。
 少しくせのあるふわふわした色素の薄い髪を。 磁気のように透明で白い肌を。 きれいにあがる唇の三日月を。 笑うと上下にゆれる長いまつげを。
 私は怖いくらい鮮明にイメージできた。一緒に過ごした時間がとても長かったことの証だ。思い知らされてしまった。それが今となっては邪魔で邪魔で仕方がなかった。後悔さえしたのだ。ああやっぱり、はじめから一人でいたらこんなに心が乱されることもなかったろうに、と。
 私は静留の顔をまともに見ることができなくなってしまった。ヤマダに指摘されたにもかかわらず生徒会室に立ち寄りPCをいじる気なんてしない。廊下ですれ違うときですら、気づかぬふりをして、急いで立ち去った。足早に行ってしまう私の背中を、静留がもの言いたげに見つめているのも無視した。気がつけば昔なおしたはずの爪をかむ癖まで復活し、ここ二週間でひどく深爪になった。
 早く夏休みになればいい。静留に会う機会が減って、少し距離を置くことができれば楽になるだろう。夏が終わるころには、私も落ち着いてあいつの顔を見ることができるようになるに違いない。
 こんなに夏休みを恋しく思ったのは小学三年生以来だ。あの夏は母さんと一緒にプールに行く約束をしたんだっけ。結局その前に、あの人は逝ってしまったのだけれど。


 いらついた気持ちで「台風でもくればいい」なんて思ったことがいけなかったのだろうか。
 終業式の前日、風華町には大きな台風がやってきた。シャッターを閉じた商店街がローカルテレビのチャンネルに映し出され、小枝やビニール傘の切れ端の飛び交う中でアナウンサーはびしょ濡れになりながら嵐の脅威を告げている。
 朝一に電話で学校の休みを告げる電話がかかってきた。一足早い夏休みになんとなく得をしたような気がしている生徒も多いだろう。
 受話器を置いてマンションを出た。今なら学校に誰もいないはずだ。無人の学校。生徒会室からネットワークにつなぐのにこれほど都合のいい日はない。


 強風にあおられながらバイクを運転するのは危険極まりない行為だったが、今日はそれをとがめる風紀委員もおせっかいなクラスメイトもいない。
 誰もいない廊下を歩くと、自分の靴音がやけに大きく響いた。カツーン。カツーン。この世に一人になったような錯覚を覚え急に不安になった。
 窓の外は相変わらずごうごうと嵐が吹き荒れている。校門から校舎まで続く木々は今やへし折れんばかりにしなり、ばさばさと葉をふるい散らせた。それを見ながら、ふと中庭の花が心配になる。途端静留の顔がぱっ、と頭をかすめた。しまった、と舌打ちをする。一旦こうなると頭の中から彼女の微笑を消すのがここ最近困難になりつつあった。頭を軽く左右に振りながら、前髪をかきあげる。
 私は自分に言い聞かせた。今は目の前のやるべきことに目を向けろ。生徒会室はすぐそこだ。あいつの顔なんか忘れるくらい、没頭しろ。
 集中しようと大きく息を吐き出し、引き戸に手をかける。
 音が立つのもかまわず力任せに一気に開けた。
 ガラガラという音とともに広がる視界。
 室内を見た私の呼吸はたっぷり三秒間は停止しただろう。
「なつ・・・・き・・?」
そこにいたのは紛れもなく頭の中の彼女だった。
 驚いた。
 考えすぎてついに頭の中から出てきてしまったのかと思ったから。


 「明日の終業式の準備でどうしても片付けなあかん仕事があって。朝寮に連絡来る前に学校来てしもたんよ」
 静留は慣れた手つきで湯飲みにお茶を注いでいる。コポコポと小気味いい音を聞き、私は自分の喉がひどく渇いていることに初めて気がついた。
 湯飲みを差し出した静留の手。指先に形のいい爪が並んでいる。やや骨の浮いたか細い指は、バイクのグリップを握りすぎて太くなった私の指とは大違いだ。湯飲みを無言で受け取る。気まずさから礼も言えない自分がひどく不器用でいらただしかった。茶を受け取って口をつけた途端、後悔した。これを飲み終わるまでは、ここにいる義務が生じてしまったからだ。とは言え、猫舌なので一気に飲み干すこともできない。
 どうして生徒会室に来たのか?と静留は一言も聞かなかった。ただ目の前の紙にさらさらとシャーペンを走らせている。
 私は湯飲みから立ち上る湯気の向こうに透ける静留の様子をこっそり伺っていた。窓の外の荒れ模様を眺めるふりをしながら。
「なつき」
 ビクン、と体が上下した。ひどく狼狽した私にきょとんとした顔、次にこらえきれず噴出した静留は口元をおさえながら「何でそんなびっくりしてはるの」と私の肩を軽くはたいた。
「これ忘れ物。次なつきに会ったら、ずっと渡そう思ってたんやけど」
差し出されたものは、心臓をさらに跳ね上がらせた。
「これ、どこで」
「こないだ廊下ですれ違おたとき。あんまり急いで行かはって、落としたのにも気づかへんのやもん。声かけようとしたけどなつき全然気ぃついてくれへんし」
それは私があの本屋で買った参考書だった。今の心の乱れを生み出した、一番の原因。テスト勉強のため学校に持ってきて、いつの間にかなくしてしまっていた。
「ありが、とう」
ぎこちなく礼を返す。
「なつき、期末テスト古文がんばらはったんやねぇ」
嬉しそうに笑う静留。その途端、ひどく胸が痛んだ。

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする―――――

 お前はあの歌の意味を知っていたのか?
 嘘を言ったのはなんでなんだ?
 私に知られたくなかったのか?
 どうして知られたくなかったんだ?
 

 その時、ここ最近ずっと胸の奥にひっかかっていたいらだちの正体がわかってしまった。

 どうして私に教えてくれなかったのか?
 私たちは、親友じゃなかったのか?

 結局私は寂しかったんだ。静留が一人で思いを抱え込んでいること、痛みを共有してくれないことに。

 そんな自分がいたことに私は愕然とした。
 いつからこんなに人恋しくなってしまったのか。
 そんな自分をかっこ悪いと思った。弱いと思った。
 でも、認めるしかしかない。

 だがしかしそれはエゴだ。自分の寂しさを埋めたいだけの。必要とされたいだけの。
 今までの人生「心配だから」と親切顔ですり寄ってくるクラスメイト達を誰よりも嫌悪していたのは私なのに。
 本当は知りたいだけ。助けたいだけ。誰のために?自分のために。

 ああ私をこんなにしてしまったのは静留、まぎれもなくお前なんだ。


「なつき?」
ふと頬にあてられた手のぬくみと、心配そうに覗き込む静留の瞳が私を現実に引き戻した。
「どないしたん?具合でも悪い?」
静留は心底不安そうな目で私を見つめている。
「和歌の」
「えっ」
「和歌の意味を知ってしまったんだ」
その瞬間、静留の顔がさっと曇ったのを私は見逃さなかった。
「ごめん」
口からついて出た。私は一体何を謝ろうとしているのだろう。
「ごめん静留」
こんな謝り方をするのははろくでもないと知りながら、漏れ出る「ごめん」がとめられない。

 ぱっ、と静留がいつもの顔に戻った。
「なーんや。ばれてしもたんやねえ」
またいつもの笑顔だ。私が脳内で何度もフラッシュバックした。消そうとしても消えなかった。
その笑顔を見るたび私は痛くてたまらなくなった。
「笑わなくってもいいんだ」
辛い恋をしているのはこいつなのに、どうして私の方が、泣きそうな顔をしているのだろう。
「辛かったら辛いって言ってもいいんだ。もっと私によりかかっていいんだ」
今伝えておかなければ静留の気持ちがまた笑顔の裏に隠れてしまうような気がした。
「だって私にそう言ってくれたのは静留―――――お前だから」


 潮が引いていくように、耳の中から暴風の吹き荒れる音が消え去った。
 急に部屋は静まり返り、ポットが湯を沸かす音だけが響いた。コポコポ、コポコポと。
 「ちょうど、目ぇに入ったみたいどすな」
 静留はそう言って窓の外を見やった。

 「なつき」
 静留はまっすぐにこちらを見ていた。いつもより潤んだ赤い瞳で。
「あんたがそう言ってくれて、うちほんまに嬉しい。嬉しゅうて泣いてしまいそうやわ。うちがあんたのこと大事に思ってること、ちゃんとわかってくれてるんやね。あんたもうちのこと大事に思ってくれはるんやね。それが伝わってきて、うちほんま嬉しいんよ」
そういった後、静留はこう告げた。

「でもうちの恋に関してはなつきには関係のないことや」

こんなに冷たい声を聞いたことがなかった。こんなに強いまなざしを見たことがなかった。
私の知らない静留がそこに立っていた。

「うちはこの思いだけは死ぬまで胸にしまっとこ思うてるんよ」

ああ、これが恋する女なのか。私は悟った。

「そうか」
仕方がないのは私の方。
「静留は本当にそいつのことが好きなんだな」
「ええ」


「好きで好きで好きで。時々狂いそうになるんよ」
そううつむき加減につぶやいた彼女は、鳥肌が立つほど美しかった。








 
 夏休みに入った。
 オーファン退治や組織の調査には、未だ大きな進展がない。
 私の方は、しいて言えば変化が一つ。たまに本を読むようになった。
 和歌の本。あれから興味を持って根気よく和訳したりするまでになっていた。バイク以外に無頓着な私には趣味もできて、テスト対策にもなって一挙両得かもしれない。
 夏休み明けにはまたテストがある。その時は期末の失敗を取り返すためにも、静留に教えてもらおうと思う。


 嵐の日。生徒会室を出ようとした私に、静留はこう告げた。

「あの歌を詠んだ式子内親王って人。他にもぎょうさん詠んではってな。うち、この歌も好きなんえ」
静留は私を見つめながらこう言った。
「恋ひ恋ひて、よし見よ世にもあるべしと、いひしにあらず、君も聞くらん」
すらりとそらんじた静留はにこりと微笑んだ。
「いつか、こんなようなことを・・・・・好きな人に伝えられたらええね」


 手元の和歌集をパラパラとめくる。静留が帰り際に詠んだあの歌。その訳。
 私はそっと赤いしおりをはさみこんだ。


 「あなたのことが好きで好きでたまりません。でも、この気持ちを他の人に知られるわけにはいきません。この恋が実らないならば、わたしはもはや生きながらえようとは思いません。どうぞ見定めてください。私は恋に死にます。」


 いつかあいつの恋が実ればいい。
 大好きなその人に思いが伝わりますように。
 七月の目の覚めるような青い空の下、今の私は素直にそう思えた。

 大きな入道雲がぽかりと浮かぶ空。遠くの方から、ゴロゴロと雷の唸り声が聞こえる。
 夕立はすぐ、そこまで来ていた。



(了)

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