卒業アルバムが出来上がり、私たちの手元に配られた。 一枚一枚ページをめくりながらはしゃぐクラスメートたち。それを横目で見ながら嫉妬する。 私もいつかああなれるのだろうか。友人と昔の写真を見返しながらあの頃は楽しかったねぇと笑える日が。昔と今ではすっかり変わってしまったと互いの顔を見て愚痴を交えお茶でも飲んでる未来が。 聖とそうなれたらいいのに、と思う。凡庸でいい加減で変わらない、女同士のよくある旧友として。 貴女は陳腐だなんて笑っていたけれど私は死ぬほど羨ましいわよ。そんなありふれた関係が。 カゲロウ (Side Y 後編) 楽しそうなクラスメイトたちでいっぱいの教室にいるのが辛くなり薔薇の館で一人お弁当を食べていると江利子が入ってきた。 「どしたの蓉子」 「江利子こそ。私は祥子か祐巳ちゃんとお弁当食べようと思って覗いてみたんだけど不発だった」 「私は戸棚に放置してた私物をこっそり回収に・・・きたつもりだったけど見つかった」 「薔薇の館をロッカー代わりにするなってあれほど言ったでしょうが」 「よく怒られたっけ、聖と一緒に」 くすりと江利子が笑う。私もつられて笑った。本当に三人はこの古い校舎の中で多くの時間を共有してきたのだ。衝突もたくさんしたけれど今ではそんなことさえいとおしく思える。 「江利子、大学合格したんだって?よかったじゃない」 「ありがと。蓉子も合格したんでしょ、そっちこそおめでとう」 「春からリリアンにいなくなるのね、私たち。」 「そうね。蓉子は六年、私は十四年。なんだかんだいって、ここにはお世話になっちゃった」 「江利子は私の倍か・・・・寂しいでしょう?」 「ぜーんぜん。と言ったら少し嘘になるかも。ちょっとは・・・そりゃあね。でも、もういいの。いろんな人に会っていろんなことがあって、ああもういっか・・・って素直に思えたから。だから安心してここを離れられるの」 「満足したんだ・・・うらやましいわ」 「蓉子はしてないわけ?」 「まだ少し、満点はあげられないかな」 「そっか」 江利子が私の隣の席に座る。 「もう決めてるんでしょ?満点の方法」 「うん」 「だったら、やればいいわ。それでいいと思う」 江利子はいきなり私に抱きついた。 「なにすんのよ」 「ようこーさみしいわーようこー」 「離れなさいってば」 「あはは」 江利子がいてくれて助けられたことがたくさんある。二人の奔放さに世話を焼いてばかりいた私だから、はたから見たら誰も気づかないかもしれないけど。「ありがとう」の代わりに私も江利子に思い切り抱きついてやった。 薔薇の館を出てから、聖と廊下ですれ違う。 「聖」 「うん?」 立ち止まる彼女に大学合格を報告する。 「所詮他人事ですから。蓉子が落ちるわけないしね」 「相変わらずひどい言い草ね。そんなこと大学で言ったら嫌われるわよ」 「言わないよ。蓉子にしか言わない」 嬉しいこと言わないでよ、と思う。 「聖にも新しい友達が出来るんでしょうね」 そうであってほしい。この子を理解して側にいてくれる人間が現れてくれたら。 「だって受かったし。今日あたりもう一回行ってきてお礼参りしてくるわ」 それは私が無意識に仕掛けた聖への挑戦だったのだと思う。私は彼女を試したのだ。なんとなく聖ならあの神社へ来てくれる気がした。そこでなら満点になる方法を実行できるかもしれない。願いを叶えてくれた神様なら、もう一度私にチャンスを与えてほしかった。 その日の5時すぎ、私は神社への階段を登っていた。聖はきっとあの場所で私を待っている___そんな予感は階段を一段一段上るごとに少しずつ確信に変わってゆく。強い風が吹いている。乱暴な強風は遠慮なく私の背を押す。不穏な木々のざわめきに胸騒ぎはますます強くなる。 彼女はばっさりと私を断ち切るのだろう。容赦なく振り下ろされるその刃で私の中にある密かな期待やこれからの二人の未来とかを真っ二つにしてくれる。 聖に斬り捨てて欲しかった。 私を過去のものとし、どんどん一人で先に行ってしまって欲しかった。 永遠に届いたりなんかしない、ずっとずっと遠い存在でいて欲しかった。 聖はためらうことなくそうしてくれる。それができる強さと諦めを持っているから。 結局、私たち二人はどこまでも18の子どもなのだった。 案の定、聖は境内で私を待っていた。ああ、当たってしまったなと思う。何かを祈るように社の前で手を合わせている。 「何をお願いしているの?」 聞かなくても知っていた。でもその予想が外れてほしいとも思う。 「いろんなことを・・・・高校生活やこれからのこと。志摩子のこと、祐巳ちゃんのこと、静のこと、江利子のこと・・・・・・そして貴女のこと」 「私のこと?」 私の声、震えてない?不自然じゃない?つきつけられた冷たく鋭い切っ先をのど元に感じる。締め付けられる器官。 「そう、蓉子のことも」 「どんな?」 やめて。言わないで。それ以上言わないでよ。 聖は私を思い切り抱きしめた。あたたかい。もう涙を堪えるので精一杯だ。お互いの顔が見えなくてよかった。 「こんなこと言うのは恥ずかしいんだけど、今までのお礼として言っておくわ」 斬り殺してよ聖。こんな感情を早く。 「蓉子がこれからもずっと友達でいてくれますようにって」 ああ、刃は振り下ろされてしまった。 ますます聖の腕は私を締め付ける。体がちぎれそうだ、だってこんなにも痛い。すごく痛い。心も体も血が吹き出そうだ。渾身の力を振り絞り私は声を出す。 「白状したわね、やっと」 ようやく楽になれる。狂いそうな痛みをやり過ごせば最期はすぐそこだ。 「蓉子、お願い。本当にお願いです。私は意地が悪くて、口も悪くて、あまのじゃくで、顔だけが綺麗な女だけど」 こんな時にもおどけてみせる聖が可愛いくて憎らしい。本当に憎らしい。 「この先何があっても、貴女だけはずっと友達でいて。私を見捨てずにいて。」 ずるいことを言う。本当に酷い人。ずっと友達、それでも側にいろと? 「わかりました。」 ならば、そうしよう。この命が枯れるその瞬間まで。 「私は聖の友達であり続けます。未来永劫ずっと聖を見捨てません。たとえそれがどんなに辛くて、やっぱり約束しなきゃよかったなんて後悔したとしても。友達よ、永遠に。」 今の言葉は私を死ぬまで縛り続けるだろう。あがらうことなんてせずに、どこまでもバカ正直でいたい。どんな道でも拒まず受け入れよう。聖が選んだことなら私はすべてひきうけてみせる。 今にも泣き出しそうな顔を見られたくなくて、やしろを意味もなく見上げた。目前の神はこんな私を笑うだろうか。 「なんなら神様に誓いましょうか?」 「私は神様が嫌いなんだ。イエスもマリアも大嫌い。だから、私に誓ってよ。」 「じゃあ、聖に誓うわ。破ったら死んでもいい」 本気だった。約束を破るときは死ぬときだ。 「ありがとう」 急にあたたかい体から引き剥がされる。 「さよなら、蓉子。」 笑いながら聖は容赦なく幕をおろした。そのはじけるような笑顔を私は忘れない。 五月のGWは何もないまま終ろうとしている。 連日のニュースは高速道路にできた車の列の長さををせっせと伝え続けていた。私はと言えば課題のレポートのため大学と家の往復を繰り返し、普通の日となんら変わりはなかった。せっかくの連休だから近況報告でも、と江利子が主催しかけたプチ同窓会も山辺さんのたぐいまれなデートのお誘いによりあっさりと流れた。まぁ女の友情なんてこんなもの・・・・である。ドタキャンを詫びながらも嬉しそうな江利子の電話の声を聞くとどうしても不機嫌にはなれないのだが。 「聖と二人だけでもどっか行ってきたら?」 その提案を私は断った。「どうせなら三人で会いたいから」と言って。 連休最終日のその日も私はいつものように家から大学へと向かっていた。神社の前を通るとき、道路工事のような騒がしい音に気がつく。どうやら境内の上から聞こえてくるようだ。階段を登って音の正体を確認したい衝動に駆られたが、早く行かなければ電車に乗り遅れてしまう。我慢して先を急いだ。 その日の六時すぎ。大学からの帰り道、再び神社の前を通りすがった。 今朝耳にした騒音は全く聞こえてこない。むしろ人気のない神社は静けさで耳がつんざくようだ。階段を登り境内に踏み込んだ途端、無人のブルドーザーが見えた。お社へと続く石畳の上にはまるで結界のように黄色と黒のロープが張り巡らされている。 「工事中につき立ち入り禁止」 赤い文字で書かれたプレートがロープにぶらさがっている。風でぷらぷら揺れ動き、きぃきぃと繰り返し音をたてる。 しばらくためらったが、誰もいないのを確認し、思い切り足を高くあげロープをまたいだ。 境内の裏に回りこむと地面にはぽっかりと正方形の穴が開いていた。暗くて大きな穴。やしろの裏に何か建物を作るつもりなのだろうか。もしかしたらこのボロやしろ自体崩してしまって神社まるごと新築するのかもしれない。 穴の底を見つめながら聖がここでアリジゴクを見たと言っていたのを思い出す。 このグチャグチャに荒らされた地面のどこに虫なんかが住んでいるというのだろう。もうきっとどこかへ逃げ出してしまったに違いない。ずかずかとテリトリーを侵す人間に呆れ、新しい住処を求めて、ふらっと飛んでいってしまったんだ。 聖、もうここにはいないよ。いなくなるよ。あの日貴女が見た虫ケラでさえも。 じめじめとした神社の境内も、うっそうと生い茂った木々も、全てがなぎ倒されてまるごと新しいものへとどんどん変わってゆく。 どこか後ろめたくて、決して明るみには出ない領域。じめりとした日陰は、現実にも心の中にも、もはや居場所を持たない。追いやられなかったことにされて、いつかここに日陰があったことも私は忘れてしまうのだろうか。 穴の底へ飛び降りた。それほど深い穴ではない。私は穴の中心に立ち、空を見上げた。 今にも降り出しそうなほの暗いくもり空。予報ではじきに雨が降り出す。私の白いシャツを染める深い群青の闇。刻々と降りてくる夜のとばりに全てが染まっていく。 私は、自分が泣いていることに気がついた。 頬をつたうしずくを拭いもしない。これは聖と抱き合った夕方にこらえた涙だから。だから私は泣いていい。泣くことを自分に許そうと思った。 薄い羽がこの背中に生えてくればいい。この穴から飛び立てる羽が欲しい。 例え三日の命でもかまわない。その三日間だけ、思いきりわがままに飛べれば。 じきに羽化は始まる。きっと。 ハサミも持たない私は獲物を捉えることもできず穴の底でただ空を睨み続けた。 BGM というかこの曲がなかったら書けませんでした。感謝 荘野ジュリ「カゲロウ」 ←カゲロウ Side S 後編に戻る |
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