白い風船

12月も末の街角。駅前のロータリーで道行く人を眺めていた。
買い物を終えた私は植木のレンガの上に座りこみ、疲れた足を繰り返しさする。買ったばかりのブーツで来たのはやっぱり失敗だったのだ。
ふと顔をあげると、向こう側の植え込みで、首が折れそうなくらい必死に上を見ている女の子がいた。不思議に思い視線の先を追うと、白い風船が木の枝にひっかかっている。その下でしばらくウロウロしながら、女の子は思い切ったように駆け出し人ごみの中に消えてしまった。
私は重い腰を上げ、さっきまで女の子がいた木の下に移動してみる。持ち主に諦められてしまった風船は、ゆらゆらと頼りなさげに揺れている。
なんだか無性に風船を解放してやりたくなった。
植え込みのレンガにのぼり、糸が絡まる枝に手を伸ばす。
指先で糸の結び目を根気よくほどきながら、私は数日前に蓉子と交わしたやりとりを思い出していた。


「もうすぐ誕生日じゃない」
クリスマスパーティーの数日前、彼女が思い出したように言った。その言い方がやや大げさだったので、蓉子なりに気を使っているのかもしれなかった。そんな勘繰りをしながら、私のほうも自然さを装って答える。
「年なんかほっといてもとるよ。別に嬉しくなんかない」
そう言った瞬間、蓉子はいつものように困った顔で笑った。
「自分の誕生日、好きじゃないからさ」
ゴリ押しでこんなことを言う自分はとても子どもだと思う。でも、実際私は自分の誕生日に一切の特別な感慨を抱かない人間だった。忘れることもあったくらいだ。一年前までは。
あの日以来、クリスマスは私にとって単なる誕生日以上の意味を持ってしまった。これからも年をとるたびに、あの夜のことを思い出さなければならない。正直なところ、それは気の遠くなるような苦痛だった。残りの誕生日の回数をざっと計算して憂鬱になる。
「やっと18か。あと四倍くらい残ってんだろうな、人生」
愚痴るように言う私に、蓉子はきっぱりと言う。
「楽観的な予想だと思う」
驚いて彼女を見ると、力強いまなざしとぶつかった。
「あなたも私も、明日にでも死ぬかもしれないのよ」
正論だ。だけど、それがどうした。
「そうね。でもそれって、悲しいの」
蓉子は渋い顔をした。私に対する嫌悪感すら読み取れる。
「はいはい、蓉子は嫌がるもんね、私がこういうこと言うと」
「いつだって自分は一人みたいなこと言わないの」
「わかってるよ」
「あなたはわかってない」
だんだん面倒くさくなってきた私は、自分の声が大きくなったのがわかった。
「あなたの人生はあなた一人のものじゃないって言うんでしょ。自分一人で生まれて育ってきたみたいな顔するのは私の悪い癖だって、ごう慢だって言ってたじゃない」
「わかってない。聖は何もわかってないわ」
蓉子の否定に、私は口をつぐんだ。
テキパキと目の前の書類を重ねて一つにまとめる。
「ごめん。もう今日はおしまいにしよう」
席を立った。
ガタン、という椅子の音が室内に大きく響く。
二人きりの沈黙を増幅させるようで、気まずかった。
「お先に」
コートを羽織って、鞄を手に取った。
扉を押した瞬間、蓉子がぽつりと言う。
「私は泣くから」
部屋から半歩出た足がとまる。息を殺し、次の言葉を待っている自分に気づいた。
「あなたが死んだら私が泣くわ」
ああこの言葉を待っていたのか。振り向かずに扉を無造作に閉める。
階段をギシギシと降りながら、自分の耳の奥で勢いよく血が流れる音がサーサーとノイズのように響いた。
あの子はいつもこんな一言で私をしばるのだ。そしていつもどこか安堵する私。
ふらっと向こう岸に落っこちそうになる私を、常に引き戻してくれたのは彼女の強い言葉だった気がする。ずっと。


結び目は、ついにほどけた。丁寧にたぐってみると意外にあっけないものだ。
周りを見渡してみたが、持ち主の女の子は見当たらなかった。
ほどいた糸から指をどける。手のひらの上をすり抜ける糸の感触が、一瞬くすぐったかった。
白い風船は空に吸い寄せられるように飛んでいく。みるみる小さくなる白い粒を、雲に溶けるまで見送った。
すり抜ける糸の感触をまだ手が覚えている。
巻き付いていた木の枝は手をふるように、ゆらゆらと風に揺れていた。この木は覚えているんだろうか、自分に巻きついてきた風船のことを。
「ごめんね」
私は木の幹をそっとひとなでして、その場から離れた。



 〜了〜

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GO!GO!7188「神様のヒマ潰し」

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